それから長く、アレンはラビの家へと世話になっていた。
 家賃の折半を申し出たところ断られたが、アレンの莫大な食費は自己負担ということになった。
 教会の仕事(というよりむしろあの神父の下で働く事)は厳しかったが、やり甲斐もあった。
 様々な人種が集まるこの街ではアレンの見目も違和感なく受け入れられた。最もこれは顔の広い神父と本屋のお陰もあっただろうが。
 だから、いつしか忘れていた。
 自分はラビのことを何も知らない。
 それに改めて気付いた時、足元に穴が開いた気がした。
 夕食を作る後姿が酷く遠い。
 たまらず腕を伸ばし上着の裾を引っ張ると、赤い頭が振り向く。
「なに、腹減った?」
「え?あ、ああ、はい!」
「もうちょいなー。っつーか食べたいなら手伝え」
 この笑顔と軽い口調が曲者だ。
 真実から逸らせる気楽な横道を容易に作ってしまう。

 ラビの日常のほとんどは本に占められている。
 食後アレンが片づけを担当する間ラビは常に本を開いている。
 莫大な蔵書を抱えているとはいえ、其処まで毎日目を通してよく飽きないなと感心するのが常だ。
 布巾で拭いた皿を食器棚に戻し、アレンはラビの正面に座った。
「ん?何さ」
 気配に気付いたらしいラビが視線を頁から上げる。
「ラビの本、読んでみたいと思いまして」
「うん。その辺の好きにしていいさー」
「そうじゃなくて」
 アレンはラビの両手から彼の注意を奪う本を取り上げた。
 この言葉は逸らされず、聞いてもらわなければならない。
「ラビのことを書いた、本が読みたいんです。僕は貴方を何も知らない」
「―――アレンはその人の全部を知らないと付き合っていけないさ?」
 浮かんだ表情は、僅かな呆れと疑問。それが真実を隠す衣だということはもう知っている。
「違います。ただ僕は貴方を知りたい」
 空いた手を取った。少年から青年へと育ち行く途中の、無骨な手だ。ただ、酷く暖かい。
 この手が嬉しかった。その、もっと先まで欲しくなった。
「ずっと一緒に暮らしているのに、僕は貴方の何も知らない。そのことに気付いた時、酷く哀しかった。
 多分僕は、貴方が好きです」
 掌の中の指が震える。
「……“多分”で男に告白すんなさ」
「じゃあ、改めましょうか?僕は貴方が好きです。愛しています。貴方を知りたい。貴方に口付けたい。貴方を抱きしめたい。貴方の未来がすべて欲しい」
 真っ直ぐに見つめれば、ラビの睫毛が伏せられる。
 それでも手は逃げなかった。
 戸惑い、迷っているのだろう。
 今がチャンスだ。
「今すぐ答えを欲しいとは言いません。だから変わりに、ほんの少しでいい。貴方のことを教えてください。貴方を慕うこの街の人が知らない、僕一人が知る貴方の事を」
「――――――何にも」
 瞼が上げられ、動揺を秘めた翠緑の眼がアレンを見据える。
「何も、無いさ。俺自身の人生は空っぽだから、俺は人の人生を集める。だから俺に話せることは―――何も無いさ」
「嘘ですね」
 同様の隙を突き、アレンはラビを腕の中に収める。
 言葉にか行動にかラビの背が震え、強張った。
 だが跳ね返すことは許さない。
「人と人が出会って、何も遺さないはずがないと僕に教えてくれたのは貴方だ。今まで出逢った人の数だけ、貴方の中には何かが遺る。―――僕は、どうですか?もし僕が貴方の前から明日消えても、貴方の中に僕の欠片は遺りませんか?」
「……消えちまうのは、嫌さ。まだアレンの物語を書く許可を貰ってない」
「ラビがそうしたいなら、書いてください」
「―――え?」
「これまで、マナの想い出に誰かに触れられるなんて許せなかった。でも、初めて貴方に話した。きっとあの時から、貴方には心を許していました。ラビが好きです。僕の人生は貴方のものです。物語にしたいなら、どうぞ。止める理由はありません」
「―――それは、出て行くって言ってるさ?」
「え?」
 予想もしなかった質問に思い出す。
 ラビは本を出す許可をまだ得られてないから、元々同居を提案したのだ。
 それが発刊を認めたということは、同居契約を解約したいと、そう取られてしまったのか。
 それは、もしかして―――
 期待してもいいのだろうか。
「……ラビは、僕に出て行かれるのは嫌ですか?」
「……嫌も何も、本を出す許可を貰っちまったらそれこそ俺に止める理由はないさ」
「―――行くな、と言って下さい。理由なんて要りません。ラビがいてほしいなら、僕はずっと貴方の傍に居ます。居させて下さい」
「………わからない」
 改めて向かい合った顔は、ぽっかりと虚空が空いているように見えた。
 あれほど情緒豊かな彼が、感情が欠落しているかのように。
 感情という意味が、理解できないかのように。
「俺は、空っぽだから、わからない」
 何故彼は涙を流さないんだろう、と思った。それが不思議なほどに、その声には悲壮さが滲み出ていた。
 ―――満たしてあげたいと、思った。
 魂まで凍えていたあの夜、彼の手がそれを暖めてくれたように。
 あんなに暖かい手の持ち主が、空っぽのはずがない。

 舌を噛まないように含ませた指に熱い吐息を感じ、アレンは背中でこっそり笑みを漏らす。
 熱い湿った息も、汗で吸い付くような肌も、その下で躍動する筋肉も、総てが眩暈がするほど愛しい。
 この人が此処にいる証のように思える。
「ラビ……脚、もっと開いて」
 耳裏で囁く声が聞こえているのかいないのか、大腿に力は篭っておらず空いているほうの手で押し開いた。
 その奥に潜む部分がひくりと収縮する気配がする。
 つくかつかないかの加減で唇で背筋をなぞると逃げ出すかのように指がシーツを掻いた。
 背をくすぐるアレンの髪の感触もくすぐったいのか、少し動くたびにびくびくと震えが走る。
「声、聞きたい」
「……っ、ぅ……あッ」
 聴覚に直接吹き込むと最後の抵抗を示していた腕がくずおれ、ベッドへと長身が放り出される。
「……もっ、無理…!」
 過ぎた悦楽の捌け口を失った体はただ小さく痙攣を繰り返す。しかし其処に力はなく、まるで全身がぐずぐずに融けているようにさえ見える。
 狂いそうな快感に悶えるラビに、アレンの双眸に欲望が宿る。
 貪りたい。
 ぺろりと上唇を舐め上げると、力の入らない体を反転させた。
「あ……」
 突然アレンの顔が視界に映りラビの瞳に安堵の色が浮かぶ。
 堪らず、半開きの唇にしゃぶりついた。
 唇と唇の間から粘着質な水音が奏でられ、その隙間にラビの嬌声にもならぬ鼻に掛かった声が上がる。
 ラビの声を聞けないのは至極残念だが、甘い口内と柔らかい舌を離すのも勿体無くて行為を中断する事はできなかった。
 やがてラビの腕が気だるげに持ち上げられ、アレンの背に縋り付く。
 この拷問のような快楽の渦から救って欲しい、とでも言うかのように。
 だがその渦に突き落としているのは他ならぬアレン自身で、また快楽に溺れているのはアレンも同じことなので助ける術もなく、縋りついた腕が再び力を無くすまで口接けは続いた。
 短く息を吐きながら名残惜しい舌を解放し改めてラビを見下ろすと、口の端から溢れた唾液がしとどにシーツを濡らし、その隻眼の焦点は何処か虚ろになっていた。
 濡れた口元を舐め取り仕上げにちゅっと音をたてて唇を吸うと緑眼の焦点が定まり、アレンを見上げてふわりと笑った。
「……ここまでされて笑うのは反則です」
 軽い頭痛のようなものを覚えつつ、引切り無しに雫を溢すラビの性器に指を絡ませる。
「は、あっ、あぁ……ッ!」
 触れただけで背を逸らしてラビは達した。
 息を乱し上下する胸に忍耐の緒も切れ、ラビの残滓が伝う指を彼の蕾へ突き立てた。
「んぅ……ッ」
 ラビは咽喉をそらせたが、さして痛みはないらしい。
 それでも侵入者を拒む媚肉を押し分け、彼の内部がアレンの指に慣れるのを待つ。
「ラビ」
 顎に口接けを落とし、ラビの注意をひいた。
「此処に」
 ぐるり、と内壁を撫でればひっと息を呑む音がする。
「入りたい」
 こうしている間も、ラビの内部が熱くて熱くて堪らない。
 この中に入って、どろどろに融けてしまいたい。
 切ないほど切羽詰ったアレンの表情がどう映ったか解からないが、ラビは両腕をアレンの頸に絡ませぎゅっと抱き寄せた。
「ラビ……?」
「……アレンの、好きにしてほしいさ……ッ」
 頭が真っ白になった。
 何処かの神経が焼き切れたかのように。
 力をなくしたラビの片足を肩に担ぐと変わらず熱をともす其処に己の欲望を押し当てる。
 ぎり、と進入してくる欲の大きさにラビの腰が引けそうになるが、両腕がそれを許さなかった。
「ごめんなさい、ラビ」
「…やぁ……っひぅ……!」
 流石に指とは体積が違うため、瞼の裏に火花が散る。
 縋るものが欲しくて、細い腕に爪を立てる。
「ラビ、ラビ……っ」
 無理をかけられた身体は悲鳴を上げるのに、浮かされたように名を呼ばれ脳がどろどろに融かされる。
「ラビッ、……いい………ッ」
「あッ……!!」
 何より、その声が思考力を奪った。
「アレン……!」
 体中の熱が一箇所に集まり、迸る。
 己の上に崩れ落ちるアレンの重みを感じながら、ラビは意識を手放した。

 アレンの身体は熱かった。
 この熱を、生涯覚えていこう。
 沈み行く意識の中で、ラビは心に誓った。


 翌朝。
 ラビのベッドで目覚めたアレンは己の腕の中の空虚感に目を見開く。
「ラビ!?」
 今までアレンが使っていたソファにもその姿はない。
 ラビの朝は遅い。
 朝食を食べに出たとか、楽観的な推測は出来ない。
 何か手がかりは、と部屋の中に目を向ける。
 いつもと変わらない、本に埋もれた部屋だ。
 ――― 否。
 ある一角の本が消えていた。
 それは、ラビが書いた本の山だった。
 代わりにその場所に、一通の封筒と鍵を見つけだす。

『雪の妖精へ。本屋より。』

 純白の封筒の表には、コバルトブルーの文字でそう書かれていた。
 ラビの字だろう。見るのは初めてだ。

『おはよう。
 よく眠れたさ?
 眠れたよな、俺がベッドを抜け出してもぴくりともしなかったし。
 アレンの腕、意外と強くて起きないかドキドキしたのに』

 そうだ。
 昨夜はラビをきつく抱きしめて眠りに落ちた。
 自分を空っぽだというラビが本当に消えてしまいそうで。
 不安で、ただ強く掻き抱いたのに。

『朝、一人で目覚めさせる事になっちまお詫びに突然だけど一つ物語を書こう。
 世界一つまらない、此処だけにしか書かない物語さ』

 アレンは手近な本の山の上に腰掛けた。
 とてもじゃないが立っていられない。
 ラビは怒るかもしれないが、構わない。
 次に遭った時に謝ろう。

『俺の親は早くに死んで、俺はじじぃに育てられた。
 これがまた頑固で乱暴なクソじじぃなんだけどさ、だけど、いろんな事を教えてくれた』

 ラビの字は僅かに震え、祖父に対する限りない愛情が伺えた。

『15の時、進学の話が来た。
 それまで住んでいた処はすっげー田舎でさ、進学先は丸一日掛かる場所だった。
 けどな、俺はすぐハイって返事したさ。
 だって進学先は田舎者の俺でも知っているような超名門。
 じじぃの顔なんて頭になかった。
 家に戻って報告したとき、大目玉食らったね。
 ひよっ子が調子に乗るんじゃないって。
 で、そこから大喧嘩。
 勝手に荷物纏めてろくに話もしないで出てったさ』

 その手紙を読んでいると、不思議と耳にラビの声が蘇る。
 だからこれはラビの“物語”なのか、と納得した。

『連絡は一切取らなかった。
 じじぃが病気だって事も知らなかった。
 ―――最期の時、俺は僻地の文献を探しに出てて、連絡を受けたのは遠い親戚とやらが葬儀を出した遙か後だった。
 ……いなくなって初めて知ったさ。
 じじぃがどれだけ俺を愛してくれてたか。
 病に伏しても俺に知らせることすら拒んだ。
 どれだけじじぃが俺の願いを考えてくれてたか』

 最後の文字は掠れていた。
 だがそんな事すら気付かず、アレンは先を読み進める。

『その時俺は怖くなった。
 じじぃの死が、じゃない。
 俺が怖かったのは自分の智欲さ。
 取り戻せない大切な物を失っても何一つ変わらない、知識を渇望する自分の欲望が怖かった』

 手紙の最後は、しっかりした筆跡で綴られていた。まるで、決意をそこに込めるように。

『アレンのことは好きさ。初めて見た時、こんな綺麗なものが世界にあるんだ、って思った。
 だから俺は怖い。
 アレンと己の智欲、天秤に掛ける日が来たらどちらに傾くかが怖い。
 ―――好きだから、俺はアンタの傍にはいちゃいけない。

 バイバイ、アレン。

 部屋の鍵は置いていきます。
 実はその部屋、俺が買い上げたから、一生家賃払わなくても住めるさ。
 可愛い彼女を連れ込むのも自由。
 出来れば誰かと幸せな家を作ってほしい。
 いらなくなったら売却してお金に換えて。
 権利書etc...はキッチンの床下収納の中に隠してあります』

 アレンの手には二つの鍵がある。
 同居を決定した日ラビから貰った合い鍵と、この手紙とともに置かれた本鍵。その二つが、掌の中で酷く冷たい。

『本はそっちで処分してほしいさ。
 さすがに全部は持ち出せなかった。 ごめんな。
 でも片付ければその部屋もだいぶ広くなるはずだから。
 ―――じゃあな、アレン。
 どうか、元気で。
 この世界のあらゆる幸運が、貴方とともにありますように。

 ラビ。』

 違う。
 そんな謝罪がほしかったわけじゃない。
 腹立ち紛れに投げ捨てようとした鍵は二つとも掌に張り付いたかのように離れない。
 何も出来なかった悔しさに、手近に会った本の山を殴り付ける。
 その拍子にはらりと手紙がアレンの手から落ちた。
 拾い上げようと手を伸ばし、裏面に小さく走り書かれた文字に気付く。

『アレンの腕の中は何処より暖かい場所でした。
 ありがとう。
 アレンと出会えたことは俺の人生で何よりの幸運だと思っています。』

 小さく小さく書かれたラビの本心。
「……そうじゃないんです」
 暖かかったのはラビの方だ。感謝したいのは自分だ。
 幸運というなら、それは自分にとっての―――
 いても立ってもいられず、アレンは部屋を飛びだした。

「―――ラビ!」

 早朝の街は、夜の住民は眠りにつき、昼の住民は活動を始めはおらず、日頃の喧噪が嘘のように静まっている。
「ラビ!お願いです、どうか―――」
 アレンの声はビルとビルの間に木霊し、やがて消えていく。
 どうか、伝えさせて。
 自分を見返らないならそれでいいのだと。
 ラビはラビの望むまま生きてくれればいい。ただ、出来るならその時隣にいさせて欲しいのだと。

 どうか―――



 ―――それから、数年の時間が経った。

 相変わらずビルとビルの狭間の街はあのままで、あるアパートの一室、山積みになった本もあのまま。
 変わった点といえばある一つの本屋が消えたことぐらいか。その跡地には、いつしか別の人間が露店を開くようになっていた。
 何一つ変わらない街で、アレンは今日も忙しい日々を過ごしている。
 動けなかった。
 何か一つでも動かしてしまえば、彼の帰る場所はなくなってしまいそうで。
 教会の仕事で動き回る事も多いが帰って休むのは決まってあの家で、ただ時たま溜まる埃を掃除しながらラビの帰る場所を護っていた。
 ラビが融かしてくれた心はそれでもきちんと生きていて、親密な仲になった友人もいた。恋に発展しかけた付き合いもあった。
 それでも勝手に己のものとされたアパートへ誰かを招きいれようと思ったことは一度もなかった。
 叶うなら、もう一度。
 各地を回るうちに赤毛の本屋については聞き込みをしたが手掛かりはなく。
 もしかしたら過ぎた願いなのだろうかという思いが時折頭を掠める。

 ある日、クロスのミサの資料集めのためにアレンは隣町の書店へと足を踏み入れた。
 整然と並ぶ本たちは彼の店を思い出させるが、あそこほどの暖かみはない。
「えーと……」
 神学系の書棚に眼を移しかけ、ふと新刊の棚の一冊の本に目が行く。
 真っ白な表紙に銀で雪の結晶の箔が圧されており、コバルトブルーの印刷で表題が書かれている。
 未だに机の奥底にしまってある、ラビからの封筒の表紙にそっくりだ。
 だが何より目を引いたのは、そのタイトルだ。

『雪の妖精と本屋の物語。』

 ひねりのないタイトルは、心をざわめかせた。
 見開きには、こう書かれていた。

『私を物書きにしてくれた祖父と、私の魂を暖めてくれた雪の妖精に捧ぐ。』

 その物語は雪の妖精と本屋の青年の出会いにより始まる。
 妖精は弱っていた。妖精の冷気が、彼を大切にしてくれた人の寿命を縮めてしまったから。
 本屋の青年は妖精を慈しんだ。本屋はこの世界に妖精が生きていたことを喜び、妖精の大切な人を弔い、二人で生きた。
 やがて冬があけ、本屋は気付く。
 妖精が弱ってきている。
 人の温もりは妖精の力となるが、春の暖かさは妖精の力を奪う。
 妖精が春から逃げないのは、本屋がいるからだ。
 そして本屋は妖精の前から姿を消した。
 妖精は哀しみ、春先、咲き誇る花々の上に僅かな名残の雪を涙のように降らせると北の国へと帰った。

 ぱらぱらと頁を捲るうちに、アレンの予感は確信へと変わる。
 最後の一文はこう書かれていた。

『そして本屋は今年の冬も雪の中、白い妖精の姿を探すのです。』

 最後の夜、確かにアレンは己の物語の出版を許した。
 だがこれは、アレンの物語ではない。
 アレンとラビの・・・・・・・物語だ。

「―――そっちの許可は、出した覚えがないんですけどね」

 伝えなければならない。この物語の作者へ。
 捜していたのはきっと、妖精も同じなのだと。
 否、本屋は探してなどいないではないか。
 最も見つけられるであろう場所に足を伸ばしていないのだから。
 その癖、こんなあからさまな本など出版して。

 ―――まぁ、いいか。

 かつて自分が踏み出せなかった一歩分、ラビが手を差し伸べてくれた。 
 今度はラビが踏み出せない一歩分、自分が腕を取りに行けばいいだけのこと。

 本を抱えて、会計を済ます。
 今からこの出版社に電話をして、この作者について訊ねよう。
 簡単に所在を教えてくれるとは思わないが、それは問題ではない。
 口八丁手八丁はここ数年、師により磨きをかけられた得意分野だ。
 彼に繋がる一筋の糸を見つけたのだ。手放すものか。


 それは汚れたビルとビルの狭間。
 国にも政府にも見捨てられたような街でのささいな出来事だ。
 そんな出来事でも誰かの一生を大きく左右することも、たまにはあるだろう。

||| fin |||

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