トントンッ 部屋のドアが叩かれたので無涯はドアを振り向きもせずに、ノートに視線を走らせたまま応えた。 「どうぞ」 ドアを開けたのは無涯によく似た和服の美女。 彼女は机に向かっていた無涯を見ると、すぅっと眼を細めて微笑を形作った口元で『命令』を出した。 「お使い、頼まれてくれないかしら?」 和風お淑やか美女の外見とは裏腹に、弟達に対して絶対的命令権を酷使する姉に逆らえば命がないということはこれまでの経験上嫌と言うほど身に染みている。だから無涯はワンテンポ間をおいてからため息をついて立ち上がった。 「・・・なにを頼まれればいいんだ?」 ―おつかい― よく見慣れた店構え。そこの屋根上にはその店の歴史を感じさせる看板が重々しく佇んでいる。 出入り口には萌葱色の暖簾がかけられ微かに吹く風にそよぐ。その暖簾をくぐればこれまたよく聞き慣れた・・・・正確に言えば数カ月ぶりの声が出迎えてくれた。 「いらっしゃいませ・・・・・あ、無涯兄ちゃんっ」 最初の方は接客用の声と表情、しかし無涯の名を呼んだ声と表情は素の喜びを含んだもので、無涯の無表情も心なしか崩れる。 忠之介は真面目だから受験ノイローゼなんていうものになっていたら、と一時期心配したことがあったから・・ 「久しぶりだな。元気そうで良かった」 「無涯兄ちゃんのほうこそかわりなくて良かったっす」 無涯を奥の座敷へと案内しながら嬉しそうに会っていなかった間のことを話す忠之介は、背が伸び、声も変声期を終えて低くなっていた。前までは忠之介の頭は無涯の胸のあたりにも届いていなかったのに、まるでタケノコのようににょろにょろ伸びていたのかと無涯はしみじみ忠之介を眺めていた。 するといつの間にか中庭に面した客間に着いていた。 「どうぞ、今お茶持ってくるっすから座っててくださいっす」 中へ促されて前もって敷かれていた葡萄茶色の座布団を勧められる。 無涯の家は昔からの『ねづや』常連客なので表の座敷ではなく奥まで通されることがしばしあった。だから無涯もこの中庭を眼を細めて見つめた。 よく晴れた日の中庭は窓越しにでも深緑の匂いを感じられるほど日差しを照り返し、綺麗だった。無涯の家にも中庭はあるがここの中庭に比べたら人工的に見えてしまう。忠之介の家は家自体にもその雰囲気にも歴史が刻み込まれているので訪れる度に心が和む、と無涯は眸を閉じた。微かな音だけが無涯の脳を刺激する。 その耳に静かな足音が届いた。 「お待たせしたっす」 障子が引かれ、茶と菓子を載せた盆をもった忠之介が客間に入り、挟んだ無涯の真正面にゆっくりと正座するとお盆から茶と菓子を降ろし、無涯の前に音もなく置く。 「今日はどんな用事できたっすか?」 「・・・・・・・姉がなにか頼んでいたと思うのだが」 「やっぱり唯生さんのお使いで来たっすね?よかったっす〜」 にっこりと笑いながら忠之介は部屋の隅に置かれていた長方形の包みを丁寧に抱えると無涯の隣にそれを降ろし、その結わえ目を解いた。 中から出てきたのは春らしい淡い色合いの綺麗な更紗の着物。あの姉が(性格に似合わず)好みそうな柄だった。 中身は兎も角外見には合うな、と思っていた無涯は、はたっと別な疑問を浮かべ着物を挟んで向かいで微笑む忠之介を見つめた。 「どうして姉の使いだと知っていたんだ?」 この着物は無涯がここに入ってくる前からこの部屋に用意されていたものだ。しかし事前に無涯が姉の用事でここを訪れるとは言っていなかった。 忠之介はさも当たり前のように無涯を見つめ返した。 「この着物が今日出来上がるから取りに来てくださいと唯生さんに昨日連絡入れていたっす。唯生さんは約束をきっちりと守る人だから今日必ず受けとりに来ると思ってこの部屋に用意してたっす。でも唯生さんじゃなくて無涯兄ちゃんが来た・・・・・多分唯生さんに頼まれてきたのかなって思ってこの部屋に通したっすよ」 それに・・・・と忠之介はちょっとだけ面白そうに笑って続けた。 「だって無涯兄ちゃんは滅多なことで店には来ないじゃないっすか。来るとしたら唯生さんの荷物持ちか、唯生さんに頼まれて・・・・・そうでしょ?」 「・・そうだな」 頼まれて、というのとは違うがな、と心の中で訂正を加えて無涯は苦いモノをちょっと咬んだような表情で微笑する。そして姉が頼んだという着物をまじまじと眺めた。 多分、茶道の稽古用に頼んだと予測できる小袖。姉は実家の家業を継ぐつもりらしく最近はよく茶室に入り浸っている。中身は暴君で女らしくなく男並の精神力と強靱な心臓を持って弟を虐めるが茶道に少しでも触れればその表情も中身も一変する。 と、ここまで考えた無涯は目の前にいる忠之介に視線を移した。 いつも笑みを絶やさず他人を一番に想う忠之介もまた姉と同じようなところがあった。野球に関してこの一見弱そうで脆そうな見た目からは想像も付かないほどの努力と執着心を垣間見せることだ。 ということを当の本人である忠之介に言ってみたら、忠之介はきょとんと首を傾げて無涯を見つめた。 「僕よりも、無涯兄ちゃんのほうが唯生さんに似ているっすよ」 その時の無涯の表情は本当に苦虫を噛み砕いて飲み込んだような有様だった。自分とあの暴姉が似ているだと?冗談じゃない。 憮然として幾分声のトーンが落ちた不機嫌な声音で無涯は反論した。 「似ていない」 「そうっすか?だっていつもの無涯兄ちゃんと野球をしている無涯兄ちゃんは全くの別人みたいっす。いつもは優しくて面倒見がいいのにいざ野球をすると無表情で冷徹で容赦ないっすか。唯生さんも普段は優しい人っすけど茶道の話で他人を評価するときは情け容赦ないっすよ」 「姉が情け容赦ないのは普段でもだ。ただ忠之介には甘いだけだ、あの人は」 姉が優しい?そう聞いた瞬間、無涯の全身に鳥肌がたった。 唯生は忠之介は気に入っているから虐めたりはしない。だから唯生が優しい人だと言えるのだ。 「んー、そうっすかねぇ。無涯兄ちゃんが優しいから唯生さんの頼みを断れないだけかなぁとか」 本当は無涯が唯生に虐められていることを知っているはずなのに忠之介は曖昧に言葉を濁すと、「お茶が冷めちゃので飲んじゃってくださいっす」と話の腰を折ると着物をてきぱきと無涯が持ち帰りやすいように包み直しはじめので、無涯は言葉に甘えて少しばかりぬるくなった茶に口を付けた。 それからたわいもない話をしてから無涯は席を立った。外を見れば頭上にあった太陽が西の方向に傾いて、部屋の中に西日を差し込んでいた。 「長居しすぎたようだな・・・・」 「いいえ、久しぶりに無涯兄ちゃんと話が出来て楽しかったっすよ」 影が濃くなり始めた廊下を歩きながら、忠之介の背中をなんとなく見つめていた無涯はふっとため息をもらした。 またこの背中や笑顔を見る機会が無くなってしまう。そう思うと少々寂しく感じた。 「あまり逢えなくなるな」 ぽつりと漏らした無涯の独り言に反応した忠之介はくるっと振り返ると夕日にも負けないぐらいの笑顔で無涯を見つめた。 幼いことからかわらない暖かい笑顔。 「僕は無涯兄ちゃんとは別の高校に進学しちゃったっすからね・・・・でも野球を続けるつもりっすからまた別なところで逢えるっすよ」 結局忠之介の合格した高校は聞き出すことが出来なかった。しかしずっと続けていた野球は高校でもやるらしい・・・・・ 「お前の行く高校の野球部が強ければな」 「絶対に追いついて見せるっす」 暖かい笑顔が、年相応の挑戦的な鋭い笑みにかわる。自信満々・・・・といったところだろうか。だが無涯は自分の野球部の強さを自覚している。自分達がいる場所まで上り詰めるのはそう簡単なことじゃない。 でも、この努力家が行く高校ならば上がってこれるかもしれない。だから・・・・・ 「楽しみにしてやる」 不敵な微笑みで無涯は近い将来の挑戦者を見下ろした。 そして数ヶ月後、二人は球場で再開した。 end うわああ!短ッッ! 申し訳ありませぬぅう(あほだ・・・・) |
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